「悲しみ」とは中立の感情としてあります。「悲しい」と言うと人はネガティブなイメージを持ちがちですが、「悲しみ」とは本来ネガティブなものではなく、つまり闇ではなく、中立の感情です。

大事な人が亡くなった時、我々は当然「悲しい」と感じます。それは「愛」が原因です。その人のことを大事に思っているからこそ、「悲しみ」は生じるわけです。そのような「悲しみ」が闇であるはずがありません。

ただ、「悲しみ」とは非常に危険な感情ではあります。一歩間違うと、もう立ち直れず闇に堕ちてしまうような感情であるからです。ですから、「悲しみ」そのものが闇ではなくても、闇に寄りやすい性質があるということはよく理解しておいて下さい。

例えば、ある夫婦の旦那が亡くなり、妻が「悲しみ」の感情を持つとします。そして、その状態が数年間続き、人生に「絶望」するようになる。こういった場合は「悲しみ」が「絶望」という闇に堕ちてしまったケースです。「悲しみ」と最も相性のいい闇の感情は「絶望」であるからこそ、「悲しみ」の中にある時「絶望」に堕ちないように我々は気をつけなければなりません。

「悲しみ」の神様という存在がいます。「悲しみ」の気を司っている神様であって、我々が「悲しみ」の中にある時に「絶望」といった闇に堕ちないように守って下さっている神様です。中立の感情の気を司っている神様はこの「悲しみ」の神様だけになります。唯一の中立の気の神様です。

以前、「悲しみ」の神様と共に創った映像があります。「悲しみ」の神様を理解する上で非常に重要な資料になりますので、御覧になって頂けると幸いです。

“Dear Ama”悲しみの神様とのチャンネリング映像(2014/12/3@台湾台北)