日々の奇跡は書き切れません。福岡日記の続きを書きます。

実家の片付けをしている時に、神様から「この引き出しを開けなさい」という導きが来ました。指示通りに開くと中から、昔ある人からもらった手紙が出てくる。自分は「この方が今大事なのでしょうか?」と尋ねると、神様は「そうです、彼女に会い、彼女を助けなさい」とおっしゃる。

不思議でした。彼女は太陽のような人で、彼女自身が何か闇を抱えたり、霊に取り憑かれたりするようなタイプではなかったからです。しかし、こういう時は指示に従うべきなのは知っているので、彼女に連絡を取りました。すると「今子供が病気で困っている」と言う。その時に分かりました。お子さんが霊に憑かれていたんです。

今の自分の状態をいきなり話しても、気違いになったと思われてしまう可能性があったので、特に何も事情は話さずに会う事にしました。そして彼女に会い、彼女のお子さんの状況と自分の今の立場を話し、「浄霊をさせてほしい」と頼みました。彼女は何か彼女の中でしっくりきたようで「お願いします」と言う。最近どうもお子さんの様子がおかしかったようで、病気も全然良くならないとのことでした。

病気にかかっているお子さんはその時にはいなかったのですが、彼女の目の前で遠隔浄霊を行ない、終えました。すると終わった時に彼女が言います。

「お腹の中にいる赤ん坊が、芦刈君が除霊を始めた瞬間から身体を固くして、芦刈君が『終わりました』と言った瞬間に、リラックス状態に戻った。」

前にも書きましたが、僕は浄霊をする時は憑いている霊を呼び、自分の身体に一度宿らせるといったことを行なっています。彼女のお腹の中の赤ん坊はその霊を感じて、身体を固くしていたのでした。子供は本当に敏感です。

浄霊はうまくいったのですが、その後数日間その霊は何度も何度も戻って来ました。その度に彼女のお子さんは体調が悪くなり、そして自分が再度浄霊をすると調子が良くなり、ということを繰り返していました。子供は本当に敏感なので、分かりやすく反応が出ます。彼女も浄霊の後に「子供の目が全然違う」と言います。(何の修行もしていなくて目がちゃんと見えるなんて、太陽のような人は本当すごいなーと僕は感じました。)

何度も戻ってくるので、どうしてその霊が何度も戻って来るのかということを神様に尋ね、その中である結論に辿り着きました。

憑いていた霊は彼女の旦那さんのひいおばあさんで、その霊は彼女の家の中にある、ある写真を気にかけていました。ある悪いお地蔵さんと彼女と旦那さんが写っている写真のようで、その写真が彼女らに悪影響を出していると。だから、その写真を処分するために彼女のお子さんに憑くということを繰り返していました。実際、そのお子さんはその写真がある部屋にはどうしても入りたくないと言っていたようです。そのひいおばあさんがその部屋によく待機していたからです。

僕は再度その霊を呼び、こう話しました。

「写真の件は我々の方で発見し、燃やします。ですので、ご心配なさらずに、どうか天国の方にいらっしゃって下さい。」

それで、その霊は納得してくれて昇っていき、その後彼女のお子さんに憑くことはありませんでした。

このように、ご先祖様が我々のことを心配して、誰かに憑くということは本当によくあります。彼らは善意から憑いているのですが、結果的には子孫を苦しめることになってしまいます。こういう場合、何故彼らが憑いているのかをはっきりさせて、彼らの不安の原因を引き受けるような形を取ることが大事です。そのことで彼らは上に行ってくれます。

 

現代人にとって、今回の写真のようなものがどうしてご先祖様にとって不安材料になるのかは理解できないと思いますが、このことは極めて理にかなっています。

何か悪いものと一緒に写っている写真を残すということは、その悪いものと自分というものの関係性をこの世に残すということになります。写真っていうものはこの世に存在するものです。この世に存在すると、その関係性が保存されるということが起こります。そうするとその悪いものからエネルギーを食らうことになり、喧嘩や事故や病気が起きやすくなります。

このことは現代あまり知られていませんが、確かなことです。ちなみに、写真データではこういったことは起きません。データはただのデータであって、この世に痕跡が何も残らないからです。

ちなみに、断捨離がいいということの本質的な意味はこの点にあります。捨てることは縁を切るということです。逆に、縁を切りたくないものは捨ててはいけません。あと、捨てる上で最も好ましい方法は燃やすことです。

人間あの世に行くと色々なことが分かるようになります。ですので、あの世に行ったひいおばあさんはその写真が彼らに悪影響を出しているということが分かり、地上に降りてきて何とかしようとした形になります。

霊的な話はここまでになります。

 

僕は彼女に中学生の頃に出会い、それから時折会っていました。中学、高校、浪人、福岡にいた思春期の時代の経験をシェアした形になります。

その時期はとても苦しい時期でもありました。特に浪人時代は今までの人生の中で最も闇にやられていたように思えます。そんな時に、本当に彼女に救われてその闇の時代を生きてこれたと思っているんです。だから、彼女は僕にとって、本当に大事な方です。

そんな彼女に今回、少しでも恩返しができて良かったと思っています。そして、こんな機会をくれた神様に感謝しています。本人には言っていないのですが、我々は前世でも会っています。

我々は今世でお互いを助け合うために出会ったと思うんです。僕は彼女に本当にたくさん助けられ、彼女の助けの中で自分の道を探し、その道の中で自分の役割に気付き、その役割によって彼女を助けることとなる。そういった機会を神様に与えられたと思っています。

しかし、そういった機会が与えられたにしても、光を取らなければ相手を助けることはできません。だから、全ては我々の個人の意思でもあるんです。

最近になってようやく自分は光を選べたからこそ、何かを彼女にできたと思うんです。逆に言うと、彼女はずっと光を選んで生きてきたからこそ、ずっと僕を助けてくれていたし、僕に限らず多くの人々を救っていることは知っています。彼女は本当に太陽のような人なんです。

神様は本当に優しいし、この世界は愛に満ちていると、いつも思います。光を選べば、そういったことを実感として感じ始めます。我々は光を選ぶために生まれ、ここにいます。