実家に帰って気付く事は本当に多くありました。その大きな一つが、亡くなったおじいちゃんがまだ実家にいたことでした。亡くなって13年になりますが、成仏されていませんでした。

僕はおじいちゃんがとても好きでした。何かとても大きくて穏やかで優しくて、一緒にいるとものすごく落ち着く。小さな頃一緒によく近所を散歩していたのですが、あの時の安心感と幸福感は今でも忘れられません。

色々な人から尊敬され、立派で、日常的に様々な人からの相談にも乗っていたおじいちゃんでさえ、成仏できませんでした。それはショックでした。死ぬ時はいい気持ちで死ねなかったんです。

今回、僕はおじいちゃんのこの世に対する未練が何にあるのかを明確にし、それを引き受け安心してもらい、いい気分で天国に送るということをしなければいけませんでした。初め、おじいちゃんは死んでいることに気が付いていませんでした。こういうことはよくあります。だからまずそれを伝えなければいけませんでした。

また、これも本当に大事な話なのですが、おじいちゃんは昏睡状態が数日続く中で亡くなりました。昏睡状態が長く続くと人はよく幽体離脱をしてしまいます。そして、幽体離脱をしている状態で自分の肉体は死んでしまう。すると、上に昇っていくタイミングを逃してしまいます。おじいちゃんもそのケースでした。

今回、おじいちゃんとコミュニケーションを取る中で、おじいちゃんが自分の遺品を見てほしいと言ってきました。結構な数あったのですが、どれを見ればいいのかを神様に尋ね、見るべきものはすぐに見つかりました。開いて分かりましたが、それは亡くなった年に書いた手紙と大事な契約書などでした。

おじいちゃんは会社の経営者でした。ただ、ここでは言えませんが色々なことがあって、おじいちゃんが亡くなるときはその会社があまりいい形にはなりませんでした。うちの家族を含めてとにかく大変だったんです。僕も同じ家に住んでいたので状況は知っています。

そういった問題のことが色々と書かれていました。おじいちゃん程の方でも会社絡みの何かと人間関係に振り回され、心配と無念の中で死んでいってしまったことは悲しくてなりませんでした。

僕はおじいちゃんの思いを理解し、そしておじいちゃんに問題の本当の原因を話しました。おじいちゃんも問題の本当の原因は知りませんでした。我々が苦しむことの多くの原因が我々の無知です。

また、お袋におじいちゃんの思いを話し、我々がおじいちゃんの何を理解しなければいけないのか、を共有しました。その中でおじいちゃんが思うこともあったりして、その度にお袋におじいちゃんの思いを説明しました。

そういったことを通して、ようやくおじいちゃんに納得してもらって、「あとは俺がやっておくので大丈夫。うまくいかせるよ」と告げ、天国に送りました。天国で見守っているおじいちゃんのためにもおじいちゃんの不安が消えていくよう、頑張らないといけません。

 

今回のことは本当に色々なことを思いました。とにかく、、、

魂の問題っていうのはその人が亡くなったからといって終わりません。そういった問題が魂をこの世に留めてしまいます。

我々は共に生き、問題を共有し、時にその問題に大きく苦しみ、それを乗り越えるためにここに共存しています。皆が笑って死んでいけるようにしていくのが人生です。

魂が肉体に宿り、そして大人になるにつれていいことだけでなく、様々な闇や問題も経験しなければいけない。そして借り物の肉体が死に、魂そのものに戻っていく。

我々は魂という自我と存在を神様から与えられ、肉体という借り物に宿り、他者と一緒にその生を全うするということを繰り返しています。では、なんでこんなことをしているのか?

魂という自我や存在がなければ悲しみもありませんが喜びもありません。そして、より大きな悲しみを乗り越えた時にはとても大きな喜びがあります。大きな困難や悲しみは、そのより大きな喜びのためにあります。

 

上を向いて、笑って歩いていかなければなりません。その時は人生の意味が分かります。

下を向いて、惰性の中にあってはなりません。その時は人生の意味が分からなくなってしまいます。

それはそのまま光と闇の関係性にもなります。

 

大事なのは思考や頭ではなく、状態であって心です。そして、心とは身体であってエネルギー(気)であり、魂です。大事なのは言葉や思考ではありません。

我々は生の喜びを感じるためにここにいます。だから、どんな問題も乗り越えていくんです。そして、そのために必要なのは愛です。愛さえあれば、魂の問題は何だって乗り越えていけます。

「生の喜びを感じるためにここにいる」とは、「愛のためにここにいる」と同じ事です。つまり、光に近づくためにここにいます。