この修行いつ終わるのかは分かっていません。しかし、この修行が始まる前の1月前半、チャンネリングシリーズの『新年の挨拶』で、創造神(火の神、水の神、風の神)と中立神が、「これから半年間が日本人に対する重要な試練の時期であって、我々は今後半年間話すことはないだろう」と言っています。

だから、最近は半年を目安に終わるのだろうか、と思いながら修行を続けています。その半年まで、もう少しですが、半年経ってみないと終わるかどうかはまだ分かりません。

 

1月後半からずっと修行が続いていますが、修行でどのようなことをしているかについてはこちらに書いております。

http://junashikari.com/日記/近況報告2016年1月20日〜2月20日/
http://junashikari.com/日記/近況報告(2016年2月21日〜3月31日)/

 

『新年の挨拶』シリーズを聞いていらっしゃらない方は聞いて頂ければ、と思います。
 

火の神(1月1日)

 

中立神(1月7日)

 

水の神(1月11日)

 

風の神(1月12日)

 

皆さんは元気ですか?修行が始まった1月後半からほとんど他者とまともに会っていないのですが、それでも他者と少しコミュニケーションを取る時、他人を感じる喜びを感じます。「他者が存在するという喜び(愛の喜び)を知ってほしくて、他の魂を創った」という創造神の思いを、今の状態でも時折感じます。

本当は普通に会いたい人もたくさんいます。しかし、シャーマンになって、人と会うことの意味合いが随分変わりました。自分と会いたがる人々はシャーマンとしての自分をどこかで求めていて、そうでない人の多くは自分を警戒しがちだからです。

シャーマンとなったが故に、もう人からは一人の人間としてはあまり見られなくなりました。けど、それもしょうがないと思っていて、気にしていないんです。多くの友人が去っていったことも、残念ですけど、しょうがないと思っています(日本でこういう活動を行なっていると、新興宗教か何かと思われがちだからです)。

この役割を全うすることが、何よりも重要であって、自分のことは後回しになっています。この役割を全うすることは、自分のためではなく、全ての他の魂のためです。だから、つくづく、自分のことはどうでもいいんだと、後で気付いています。

 

シャーマンになった後、いつもコミュニケーションを取ってきたのは神々でした。彼等と接する時間はとても喜ばしかった。なぜならば、彼等は本当に素敵な魂達で、自分の魂の動きをいつも見ながら、その上で自分を愛してくれ、自分もまたチャンネリングを通して彼等を感じ、尊敬や愛情や好意の念を抱いていたからです。

単純に彼等を感じることが、自分は好きでした。彼等が神々だから、というわけではなくて、強い愛があって、とても素敵で、とても個性的な、一つの魂と接するということが喜ばしかったんです。

 

ただ、彼等とはいる場所が違います。直接会いたくても会えない。そして、先程書いたように、同じ人間同士に対しては随分距離が広くなってしまったし、時間を無駄にしないように、人と会っている時もシャーマンの自分として彼等に接せざるを得ません。本当に時間はないから、ただただ友人と食事というようなことも、自分の人生の中ではこれからほとんど無いだろうとも思っています。

そんな中で、自分は人間側にも神々側にも属さないような感覚の中を生きています。

 

そして、この修行が始まってからは、この修行でひたすら闘っている闇の教育神以外の神々とのコミュニケーションが取れないようになっています。また、人と会うことも基本的には禁止されています。会った時も、闇の教育神に邪魔をされるので、会っても無駄に終わります。

神々とも人間とも会えず、1人になれればまだ楽なのですが、そんな状況において闇の教育神から襲われ続けるという中を四ヶ月以上過ごしています。朝から晩までずっと、寝てる間も、その闇の教育神と1人で闘っています。そのことを通して、随分強くなったと思います。

 

「愛」があれば、魂は「強さ」を持ちます。本当の「強さ」は自分のためではなく、他者のために何かをしようとする心=「愛」によって生まれます。そういった「愛」の「強さ」は前からとてもありました。

しかし、今はそういった「愛」の「強さ」ではなく、ただただ「忍耐」を養われています。闇の教育神が自分を襲い続ける中で、「愛」を使えない状態を用意され、「愛」を使わずにただただ「忍耐」を実践する。それは、土の感情である「忍耐」さえも使えないことがほとんどでした。

「忍耐」という言葉は様々な意味があり、信じることのために何かをする気持ちを「忍耐」と呼ぶこともあります。これは土の感情です。それに対して、「忍耐」には「我慢強さ」という意味もあります。「我慢強さ」の場合、感情のレベルでは「嫌悪」であることが多いです。今回の修行において、メインで抱いていた「忍耐」とは「我慢強さ」です。なぜならば、闇の教育神から強制的に「嫌悪」の感情を抱かせられていたからです。

 

闇の教育神は自分の魂を支配してきます。今回の修行においては、この宇宙のルールが無視されています。それは、どのようなルールかというと、一つの時間において、神々や悪魔がどれだけの気を宇宙人の身体に入れていいのか、どのような場合に神々や悪魔は気を宇宙人の身体に入れていいのか、というルールです。

普通は、神々や悪魔が気を宇宙人に入れることについて、

その宇宙人の魂が光に共感するならば、その宇宙人の身体に光の気を神々や悪魔が入れてよく、
その宇宙人の魂が闇に共感するならば、その宇宙人の身体に闇の気を神々や悪魔が入れてよい、
そして、その宇宙人がどれだけ光または闇に共感するかによって、どれだけの量の気を入れてよいかが決まる

という形のルールになっています。

もし、このルールが成り立たなかったら、神々は宇宙人の魂を好きに光に寄せ、悪魔達は宇宙人の魂を好きに闇に寄せていくことになります。それでは、その魂の意志は全然尊重されないことになりますし、神々と悪魔のやりたい放題になってしまいます。

 

しかし、今回の修行は、このルールが成り立たない状況ですので、闇の教育神はいくらでも自分に気を入れることができます。ですから、いきなり自分の身体に大量の気を入れ、身体に宿っている自分の魂は共感せざるを得ない状況を用意されます。

身体に大量のある気が入る時、魂はその気による感情を抱かざるを得ない状況となります。例えば、「不安」の気が大量に身体に入れられた場合、魂は「不安」にならざるを得ません。普通は、その本人が「不安」に同調することなくして、身体に「不安」の気は溜まることはないのですが、今回はそういった通常状態とは違うので、勝手に「不安」の気を身体に大量に入れられ、それが溜められます。

 

そして、感情だけではなく、思考もまた気によって成り立っておりますから、思考も完璧に支配されます。自分の魂が気を作るということに対しても、かなり管理されており、全然自分の感情や思考が抱けない状況になっています。

つまり、どういう状況を闇の教育神に用意されるかというと、心を完全に支配される状態になるということです。自分の魂の光を以てしても、抵抗することはできません。ただただ、やられっぱなしになるのが今回の修行です。

また、闇の教育神は自分の心だけでなく、身体も支配してきます。

 

この修行についていい喩えができます。それは映画『ロード・オブ・ザ・リング』のフロドのようなことをやっていると思って下さい。あの映画の中に登場する指輪は、指輪自体に意志があり、ありとあらゆる魂を支配できるものとして描かれます。だから、登場人物は皆、指輪に狂わされていきます。

フロドはあの物語の中で、指輪を滅びの山に捨てるために旅を続けます。そして、滅びの山の中に到着した時の描写が以下の動画です。指輪をいざ捨てないといけない時に、フロドは指輪の力によってそれを止めさせられ「この指輪は俺のものだ」と言い放ちます。また、指輪に完璧に支配されてしまった魂であるゴラムも登場し、フロドと指輪を奪い合います。

この指輪はそれぞれの存在に闇の気を送ることを通して、その魂を支配します。このシーンにおいては、フロドもゴラムも指輪が二人に放つ欲望の気によって、踊らされている存在に過ぎません。

今自分がやっている修行とはこれと全く同じ状態です。欲望だけではなく、闇の気は30種類ありますから、その30種類の闇の気が迫ってくる中で、この二人のようにならず、自分を保つということを行なっています。

そして、今回の修行はこの指輪からもたらせられる闇の気の量よりも圧倒的に多い量の闇の気を闇の教育神によって直接送られています。また、先程も書いたようにこの宇宙のルールも適用されないのだから、フロドのケースよりもより厄介な状態を経験していると思って頂ければ、と思います。

 

地獄に行っても、心が地獄の神に支配されることはありません。また、悪魔に襲われても、自分が魂の光を保つのであれば、支配されることはありません。だから、地獄に行くよりも、悪魔に襲われるよりも、心が支配されるという点について、酷い経験をしています。

自分の意志で自分の感情を抱くことができないこと程、つまり心を支配されること程、厄介なことはありません。その厄介な状況の中で、魂を強くするということを行なっています。

(念のために書いておきますが、精神病などと誤解はしないで下さい。あくまで「修行」です。)

 

この修行は予告も無しに、勝手に始まりました。それは勝手に始める必要があったからこそ、そういう形となりました。神々はこれを行なわないといけないことが予め分かっていたんです。だから、『新年の挨拶』で「半年間これから話すことはありません」と言っています。

彼等も今回の修行をしたくて行なっているわけではなく、せざる得ない状況となってしまったが故に、行なっています。その事情については、今回の修行が終わった後に書いたり、チャンネリングシリーズで神々が話すことになると思います。

どうか、自分が悪魔に襲われていると誤解なさらないで下さい。悪魔がこの宇宙のルールを勝手に変えられるはずがありません。もしそれができるならば、この宇宙はメチャクチャになるからです。ルールを変えることができるのは創造神です。

(しかし、創造神も勝手にルールを変えられるわけではありません。それについては、修行が終わった後に書いたり話したりします。)

 

シャーマンになってから、地獄のようなことばかりです。死ぬような思いを何度も経験し、大事な友人からも憎まれ、周りからは理解されず、裏切られるという経験を数多く経験し、悪魔達からいつも襲われ、闇の霊能力者に襲われ、自分に襲いかかる様々な闇と闘い、そして今は自分が好きでならない魂達と接することを禁じられ、闇の教育神から襲われ続けている。

こんな状況で逃げ出さない人間は、ほとんどいないということをもうよく分かっています。シャーマンになってから人と接する中で、いつも逃げ出していく人間を見てきたからです。人間はとてつもなく弱いということは、もうよく分かっています。ただ、弱い人間だけではないということも、まだ信じています。

それに対して、自分は強過ぎます。自分にとっては、「逃げ」という選択肢がどこにもないからです。だから、自分が強いということに後で気が付きます。

 

だからこそ、自分はこの役割にとてもふさわしい魂であるということについて確信を今では持っています。この役割においては、「愛」や「賢さ」に加えて、おそらく最も重要なのは「強さ」だからです。そして、自分の強みがすさまじく「謙虚」であるという点にあるということももうよく分かっています。

シャーマンになってから時間を過ごす中で、そしてこの修行を通して、自分について理解を深め、自分の役割に対して100%の実感を持つようになりました。それは、毎日のように神々が自分に対して起こす奇跡の数々のおかげでもあります。

自分は謙虚であるが故に、自分の役割の大きさに混乱することもありました。しかし、今はもうその恐れはないように思えます。このことを書いておくことが、この文章において、最も重要な点だと思いながら書いています。

(最近、昔の自分の書いた文章を読む機会がありますが、その時に何を感じ、どういった認識を持っていたかを保存することの重要性を感じています。)

 

どうか、共に強く、意志を持って、この太陽系のために、皆で生きていきたいと思っています。

核の問題など、本当にとてもマズイ段階まで地球は来ています。

また、そういった大きな問題だけでなく、一人一人の人間が自分の意思を持たず、自分の心を見ずに生きてしまっています。

それでは、生の意味がありません。何故ならば、自分の心を見て、自分の感情を選ぶこと、その上で自分の意志で何かを行っていくことに意味があるからです。

そのことにより、魂はその魂の意志によって進歩していきます。そして、それぞれの魂の進歩のために、この宇宙は存在しています。

 

自分の意志で生き、そして光の感情と行動を選択し、強く、共に生きていきたく思っています。