音楽家やダンサーや役者といった自分自身の体を使って表現するアーティストにとって、即興とは何なのかを知ることはとても大事です。何故ならば、即興とは何なのかを知っている方が、即興をやる上で大事なことを事前に意識することができるので、より良い形で即興ができるようになるからです。

新しい表現は即興から生まれやすいです。例えば、作曲行為なども最初の時点では即興と意味が変わらないことが多く、膨大な即興の中から良いものを選び取っていくことが、作曲行為とも言えます。新しい表現を生み出すことがアーティストの使命ですから、このような意味で、アーティストは即興をできるようにした方がいいです。

以下、即興とは何なのかを書いていきます。
 

【即興は儀式】

即興は完璧なる儀式です。それは何らかの「アイデア」を受け取る作業を繰り返す儀式であって、何らかの「気持ち」の中にどこまでも入っていく儀式です。即興が儀式であることの意味合いを理解し始める上で、「気付き」と「気持ち」という言葉の深い意味を最初に理解する必要があります。

「気付き」という現象は我々の心にある「アイデア」が浮かぶ現象のことですが、その現象は「気」が「付く」ことによって発生しているという本質を「気付き」という言葉は意味します。同様に、「気持ち」というものは「気」を「持つ」ことによって発生しているという本質を「気持ち」という言葉は意味します。

ですから、即興とは何らかの「気」と強く働く行為であって、日常を生きている時間よりも圧倒的に強く「気」と働く行為です。そして、「気合」が強いアーティストであればあるほど、多くの「気」が「合わさる」ので、強く「気」と働くことになります。

というよりも、優れた即興を行なうほとんどのアーティストは「気合」を強く入れています。逆に言うと、即興を良い形で実践できるかどうかを決める最も大事な要因は「気合」だということです。何故ならば、「気合」が強ければ強い程、より強く「気」に導かれるからです。

そして、「気」を司っている存在が、神々や悪魔といった目に見えない存在です。ですから、即興行為とは神々や悪魔と強く働く行為であって、このような意味で即興は完璧なる儀式です。

現代の日本においては、神々や悪魔といった目に見えない存在が胡散臭い宗教やオカルトのように捉えられやすく、その弊害として、現代の日本のアーティストは自分が目に見えない存在と働いている自覚を持たない方がとても多いです。

しかし、例えばインドではどうかというと、彼らはほぼ常識のレベルで、アーティストの表現行為は神々と働くことによって行われているものだという認識を持っています。

だからこそ、インドの古典インド音楽家の家に行けば、多くの家には音楽の神と言われるサラスヴァティーの絵などが飾られていて、練習や演奏前に祈りを捧げる方も少なくありません。

即興が目に見えない存在と働いていることを理解する上で大事な点が、我々人間は自分自身の「意志」で「アイデア」を作ることは決してできないという真実を理解することです。つまり、「アイデア」は常に自分の中に浮かぶことであって、その「浮かぶ」という現象は、自分自身が「作る」という現象とは異なるということです。そして、「浮かぶ」ということが「与えられている」ことによることを理解することも大事です。

例えば、家を出てすぐに忘れ物に「気付く」という現象がありますが、この現象は自分自身で忘れ物のことを「気付こう」としているわけではなく、自分の意志を超えて「気付かされている」現象です。つまり、「気」を司る何らかの存在から助けられている現場です。

即興行為も「アイデア」の連続であって、それは何らかの目に見えない存在から、表現において必要な「アイデア」を与えられていることであって、そういう存在から表現を導かれている現場です。

 

【アーティストはどの霊的存在と働くのかを決めていることについて】

アーティストは、どういった「気持ち」を抱くかによって、どういった目に見えない存在と働くのかを決めています。何故ならば、どういった「気持ち」を抱くかによって、どの霊的存在の「気」を「持つ」のかを決めているからです。

「気」は大きく分けて二種類で「光の気」と「闇の気」です。そして、「光の気」を司るのが神々であるのに対して、「闇の気」を司るのが悪魔です。だからこそ、「光の気」と共に働きながら即興をするならば、神々に即興を導かれるのに対して、「闇の気」と共に働きながら即興をするならば、悪魔に即興をコントロールされます。

神々は世の中のためを思う存在ですから、アーティストが地上に下ろすことによって世の中に良い影響を与える「アイデア」を与えようとします。それに対して、悪魔は世の中を荒らそうとする存在ですから、アーティストが地上におろすことによって世の中に悪い影響を与える「アイデア」を与えようとします。

だからこそ、アーティストが即興をする上でも最も大事なことは「光の気持ち」を抱き「闇の気持ち」を抱かないことを貫くことです。

それをするためには、「光の気持ち」と「闇の気持ち」の違いを事前に理解しておくことが大事です。それは非常に簡単な違いで「愛」と「欲」の違いとも言えますし、「善意」と「悪意」の違いとも言えます。

「光の気持ち」とは「相手のため」を思う気持ちです。ですから、お客さんといった「誰かのため」に即興行為をするのであれば、自ずと「光の気持ち」を抱くことになり、神々と働きます。それに対して、「闇の気持ち」とは「自分のため」を思う気持ちです。ですから、「自分のため」に即興行為をするのであれば、自ずと「闇の気持ち」を抱くことになり、悪魔と働きます。
 


例えば、上の動画は海の神様と働いて即興をしていますが、どうして海の神様と働くことを可能にしているかというと、この当時の自分は「世のため」に自分を成長させようとする「向上心」によって、海沿いで演奏修行をしていたからです。
 


それとは対照的に、上の動画は闇の精霊(悪魔のような存在)と働いて即興をしていますが、どうして闇の精霊と働くことを可能にしてしまったかというと、この当時の自分は「自分のため」しか考えていなかったからです。

両者を聞き比べて頂けたら、「光の気持ち」と「闇の気持ち」の違いは少し感じて頂けるかもしれません。ただ、「光の気持ち」も「闇の気持ち」も種類が様々ですから、上の二つの動画の精神性はその一例に過ぎません。

ちなみに、上の動画は「龍の気持ち」であるのに対して、下の動画は「蛇の気持ち」です。このような形で、「クジャクの気持ち」といった「光の気持ち」もあれば、「サメの気持ち」といった「闇の気持ち」もあります。

「気持ち」の種類を理解する上で非常に参考となるのが、動物の精神性です。ですから、動物をよく分析することはアーティストが通るべき一つの基本的勉強です。また、様々な人間の精神性を分析することも大事です。

ただ、「気持ち」に関する様々なことは結局は自分自身が感じていくことによって一番理解が進みます。ですから、「光の気持ち」と「闇の気持ち」の違いを理解するためには、日常生きている時も自分がどういう「気持ち」を抱いているのかをよくチェックするように習慣付ける必要がありますし、自分の心を見つめることに集中する瞑想などによって、それぞれの「気持ち」の違いを経験していかなければなりません。

こういう説明が理解できてくると、本来アーティストは様々な「気持ち」について理解を深めるべき人間であることが分かると思います。というのも、自分が共に働くべき「気」と働いてはならない「気」が何なのかを知っていなければ、地上に悪影響を与える表現を生み出してしまうからです。

少なくとも、「世のため」になる表現を生もうとするアーティストは、心のことを学ぶべきです。逆に、「自分のため」しか考えないアーティストは、心のことを学ぶことを億劫に感じると思います。そういった「怠惰」に囚われることなく、いつも自分の心を見つめて頂けると幸いです。

 

【即興が与える他者への影響】

即興は儀式であって、表現者はその儀式を導く巫女やシャーマンのような存在です。そのアーティストが自覚していても自覚していなくとも、こういった意味合いが即興にはあります。

そして、もしお客さんの前で即興をするのであれば、そのお客さんはその儀式を仕切っているアーティストが共に働いている「気」をかなりもらうことになります。言い換えると、即興を人前で行なうアーティストは、目に見えない存在の仲介者として、お客さんに何らかの「気」を与えています。

ただ、これは即興に限ったことではなく、全てのライブがこのような儀式の意味を持っています。このような意味で、ライブと儀式は同じような意味を持つからこそ、様々な宗教儀式では音楽と踊りが使われます。

何らかの「気」を共有することが儀式の持っている一番重要な意味です。それと同じ意味合いのことを実現するライブは、アーティストが自覚していなくとも、儀式と言えます。

ただ、即興ライブが普通のライブと大きく異なる点は、そこで何が表現されるのかが決まっているのか決まっていないのか、という大きな差がありますが、この差は目に見えない存在からすると、非常に大きな差です。

というのも、即興のライブの場合、目に見えない存在は、そのアーティストに何を表現させるのかをその場にいるお客さんが誰なのかによって決められるからです。また、そのお客さんの心の動き方も踏まえて、その場その場で目に見えない存在はアーティストの表現内容を導けるからです。

事前に決まったことを表現する通常のライブの場合、その決まったことをどのように表現させるか、というレベルでしか目に見えない存在はアーティストに関与できないのに対して、即興のライブの場合は、何を表現させるか、というレベルから大きくアーティストに関与できます。

これは即興の良さですし、優れた形で目に見えない存在と働くアーティストは、こういった作業の中で、その場のお客さんが鑑賞すべきものを届けられます。そのレベルのアーティストになることは非常に大変なことですが、即興を行なうアーティストにとって、何がゴールなのかを事前に知っておくことは大事です。

また、このような意味で、即興を人前で行なうアーティストは、事前に何をやるのかは一切決めるべきではありませんし、自分の即興をパターン化するべきではありません。事前にどんなことができるようになっていたとしても、できるだけ真っ白な状態から、正しい心を抱きつつ、その場その場のインスピレーションに導かれるように表現していくべきです。

良い即興アーティストは、即興が終わった後に、自分の実践した表現の流れなどが、あまりにも見事過ぎたことに驚いたりします。というのも、目に見えない存在は流れなどを非常に計算した上で即興に関与しているからです。そういう経験を積み重ねていくと、自分の即興に目に見えない存在が関与していることを確かに実感し始めます。

目に見えない存在が自分にどのように関与しているかを知っているアーティストの方が、目に見えない存在と上手に働きやすいです。ですから、自分が表現している時にどのように見に見えない存在が関与しているのかを分析しつつ、即興行為を実践していく経験が大事です。

 

【アーティストは修行者であるべき】

良い形で宗教儀式を取り仕切るシャーマンや巫女は、大きな「善意」を持って儀式を仕切ります。また、そういう儀式を取り仕切ることができる人間であるために、日常的に精神修行を重ねています。それに対して、現代の多くのアーティストは自分が何を行なっているのかを知らないが故に、非常に甘いスタンスでライブをやっていることも少なくありません。

例えば、「稼がないといけないから」といった動機で、人前で表現をすることは大変危険です。そういった動機では、「闇の気」と働きやすく、「闇の気」をお客さんに与えやすいからです。それに対して、そのお客さんの人生に良い影響を与えるために、人前で表現をすることは正しいスタンスで、「光の気」をお客さんに与えやすいです。

こういった構造があることが分かってくると、良いアーティストは、ライブにおいて良い影響をお客さんに与え、悪い影響をお客さんに与えないために、日常から自分自身の心を正しい状態にしておく努力を始めます。何故ならば、日常的に「闇の気持ち」に入ってしまいがちな人は、ライブにおいても心に隙が多く、「闇の気持ち」を抱きやすいからです。

現代を生きる多くのアーティストは、アーティストは本来、修行者であるべきことを知りません。だからこそ、多くのアーティストは心の修行が足りず、その甘さが故に、自分自身が本当に表現するべきことを人生の中で表現できなかったり、お客さんに悪影響を与えがちなアーティストになりやすいです。

良いアーティストになるために、日々己の心を見つめ、正しい心を保ち、心に関する理解を深め、世の中のために表現活動に人生を捧げて頂けると幸いです。

 

【最後に】

目に見えない世界の表現行為は、我々の生きる地上の世界の表現行為とは比べ物にならない程にレベルが高いです。だからこそ、アーティストは向こう側の世界の良い表現をこちら側に持ち込み続けるべきであって、それをする上で、良い即興をできるようにすることは大変役立ちます。

この文章を通して、即興とは何なのかをよく理解して頂き、良い形での即興を行なう修行を重ねて頂き、優れた表現をこちら側に持ち込み続けて頂けると幸いです。