アーティストにとって、今は物事を考える上でとても良い時間です。動画の発信も大事だとは思いますが、一生懸命物事の意味を考えてみるのもいかがでしょうか?

本物の芸術家は物事の意味をよく考えています。深く考えているからこそ、「自分は何故表現活動をすべきなのか?」といったことに確かな答えを持っていて、それが表現の深みにも繋がっています。

一人で物事を考えることは孤独ですし、その道を進めば進む程、他者と共有できないことまで分かってくるので余計に孤独になりますが、そんな孤独な道を進めば進む程、表現の深みも生まれてきます。

つまり、凄まじい芸術家になる上で大事な一つの要素が、孤独になる勇気を持つことです。逆に言うと、馴れ合いに甘んじたいという「弱さ」に同調することは大変危険です。

自分は膨大なアーティストと対話をしてきましたが、アーティストが間違った思考をしてしまう、よくあるケースは「傲慢」に堕ちるケースです。

正しく思考をする上で、事前に「謙虚」と「傲慢」の対立軸を知っていることは大事なので、以下の情報を参考にして頂けると幸いです。

————————————————————————————————————————————–

「謙虚」と「傲慢」

「謙虚」な人は「謙虚」であるが故に、自分の「愚かさ」を見ようとし、どこまでも「賢さ」を養うことができます。その「賢さ」が正しい思考を導きます。

それに対して、「傲慢」な人は「傲慢」であるが故に、自分の「愚かさ」を見ようとせず、いつまでも「傲慢」であり続けます。その「傲慢」が間違った思考を導きます。

しかし、「謙虚」であっても「賢さ」が足りない人は、仮に自分が何かを分かっていても、「謙虚」であるが故に分かっていることを認めません。また、仮に自分が何かを「確信」していても、「謙虚」であるが故に自分のことを「傲慢」と感じます。これらは「謙虚」が生み出す「愚かさ」です。

それに対して、十分に「賢さ」を養っていった人は、「謙虚」が生み出すこれらの「愚かさ」さえも乗り越えていくが故に、自分が何かを分かっている時に、自分が分かっていることを見抜けるようになります。これが正しい「確信」を生みます。

しかし、自分が他者よりも「賢さ」を持っていることを知り始めると、「傲慢」に堕ちる可能性は上がり始めます。そして、「傲慢」に堕ちれば、正しい「確信」を得ることは遠ざかります。ですから、「賢さ」を実現した後でさえも、「謙虚」は持ち続けなければなりません。

この説明から、正しい「確信」へ繋がる「道」がどのようなものなのかを御理解頂けると幸いです。


—————————————————————————————————————————————

※余談

何かを分かっているように発言することは「傲慢」にも見えることです。自分は元々「謙虚」出身で、今でも「謙虚」を持っているので、「自分は傲慢なのではないか?」と「不安」を抱くことがあります。

けれども、こんな時代においては、大きな情熱を持って世の中のために何が正しいのかを議論することも生まれません。だから、自分が正しいのか間違ってるのかを他者から教えられることもなく、真実への孤独な道を歩いている感覚で生きています。

古代ギリシャの哲学者達が対話を重んじたことは有名な話ですが、自分は彼らが羨ましいです。対話によって、真実はより深いレベルで明らかになるからです。

一周忌ということで、最近、生前の齋藤徹先生のインタビュー映像を確認していました。インタビューというよりかは、場面によっては自分と齋藤先生との対話になっています。その対話を聞きながら、齋藤先生は本当に良い対話相手だったと思いました。二人とも、時代を間違えて生まれた古代人のように思えます。

また、以前、沢井一恵先生の撮影の際に、彼女と対話をすることがたくさんありましたが、一恵先生ともやはり深いレベルで対話ができます。

齋藤先生にせよ、一恵先生にせよ、彼らの表現するものは本当に深いですが、そのことから、本物の芸術家は物事の意味をよく考えていることを御理解頂けると幸いです。

齋藤先生も一恵先生も真実への道を歩むという意味においては孤独な人生を生きてきました。一恵先生が自分に向かって、「(表現の道においては)孤独よ〜〜〜」と言った発言は脳裏に焼き付いています。

こんな時代において、深い表現を実現する芸術家は、孤独な道を歩まざるを得ないのは確かです。深い表現を生み出すために、そんな孤独な道を歩んで頂けると幸いです。

時代は浅はかな方向へ向かっているからこそ、深い方向性を進む芸術家が大事です。芸術家が社会の精神性を方向付けていくからです。

馴れ合いへ甘んじて、今の時代、今の社会に芸術家が合わせていけばいく程、社会はより一層浅はかになっていきます。逆に言うと、今の社会が浅はかな一つの原因は我々芸術家にあります。

浅はかな社会からは浅はかな行動しか生まれません。また、浅はかな社会は浅はかなレベルでしか、大事なことの価値を感じられません。そういう方向性が大事なことを見失わせ、社会を狂わせます。

逆に、深みのある社会からは深みのある行動が生まれます。また、深みのある社会は深みのあるレベルで、大事なことの価値を感じられます。そういう方向性が大事なことを確信させ、社会をより良い場所にしていきます。

参考までに、齋藤先生と一恵先生のデュオの音源を貼り付けておきます。この深さは並大抵の精神からは生まれません。