音楽家の能力は音の「深さ」をどれだけ感じているのかにかかっているだろうとよく思います。その一音の意味の分かり方が深ければ深い程、その音が適切かどうかも分かりますし、次に出すべき的確な音もその一音に重ねるべき音も分かるからです。

琴の巨匠である沢井一恵先生は「ほとんどの琴弾きは音を聴いてないのよ」とよく話します。これは実際に邦楽界に蔓延している大きな病で、琴弾きが誰一人として沢井一恵先生の境地に辿り着かない大きな原因だと思います。つまり、邦楽界は音を聴く努力をするよりも、日本人にありがちな「前に倣え」的な精神性で、誰かを真似る事に重きを置き過ぎています。

「一音をどれだけ感じられるのか」ということは、「どれだけ深く人生を生きているか」「どれだけこの世を深く感じているか」にかかっています。何故ならば、人生を深く知っている人間はその音の持つ精神性の意味をより深く感じられるからです。

だからこそ、音楽家こそ本当の意味での精神修行が必要です。音楽と修行というものの関係性が不明確になっている現代日本においては、こういった構造があることを音楽家が理解していくことこそ、日本の様々な音楽の発展を促します。