アートは戦争です。意識していてもいなくても、アーティストは目に見えぬ何者かの使いとしてアートをやっています。多くのアーティストは神々の使いか悪魔の使いで、その間を揺れ動いている多くのアーティストは伸び悩みます。

今までの音楽シーンで考えると、例えばジョン・レノンは最大の神の使いの歌手だったと思いますし、全てのジャンルで考えると、日本最大の神の使いのアーティストは宮崎駿だと思います。また、今の音楽シーンで考えると、世界トップレベルの悪魔の使いがビリー・アイリッシュ、日本トップレベルの悪魔の使いが椎名林檎だと思っています。

善意のあるアーティストは今非常に大きな力を持っているビリー・アイリッシュや椎名林檎が最大のライバルであることを意識すべきだとずっと思っています。そういう意識を持つことで、志も自分の中のハードルも高く設定できるからです。

リオの閉会式は椎名林檎が音楽や演出を務めました。これは非常に最悪なことで、世界は誤った形で日本の「かっこよさ」に関するイメージを抱いてしまいました。それとは逆に、三宅純が『君が代』のアレンジを務め、その音楽性は日本の良い神聖さを世界に伝えるものでした。

こういった形でアートは「光」と「闇」がせめぎ合っていて、オリンピックなどの機会は非常に大きな影響力を持つアートの実践の機会です。そういった機会では、ちゃんと神の使いとしてのアーティストが活躍すべきで、そのために、様々な優れた神の使いとしてのアーティストが育ち、存在しなければなりません。

逆に言うと、悪魔の使いとしてのアーティストに負けていれば、重要な局面において彼らに仕事が振られてしまい、そういった表現を鑑賞した多くの人が悪影響をもらいます。そういうことを防ぐためにも、神々の使いとしてのアーティストは負けてはなりません。

アートは人々の心を変えていくものです。ですから、アートで神々が勝っていくことは人々の心を正しい方向へ変えていくことを促しますし、アートで悪魔が勝っていくことは人々の心に毒がバラまかれていくことを促します。こういう構造があるからこそ、人々の心を守るために、神々の使いのアーティストは悪魔の使いのアーティストに負けてはなりません。