長谷川京子は金星神(ヴィーナス)と共に、「水の気持ち」を表現することを人生の役割に持っている女優です。「水の気持ち」とは「愛」の実践のために「問題解決」を目指す気持ちのことであって、「向上心・問題解決の心」を意味します。「愛」には複数の種類があるのですが、「水の気持ち」はその一種類と理解して頂けると幸いです。「水の気持ち」について、詳しくはここに書いています。

http://junashikari.com/emotion/水の気持ち/

「気持ち」という言葉が示すように、「気」を「持つ」ことによって我々は「気持ち」を抱いています。そして、「縁」とは「気」を送るラインであって、長谷川京子と金星神は「縁」で繋がっています。だからこそ、長谷川京子が演技をする時、金星神は長谷川京子に「気」を送ることができ、長谷川京子はその「気」を「持つ」ことによって「気持ち」を抱き演技をしています。神々と共に働く役者はこのようなことを行なっています。

金星神は古代の時代から、「愛」と「美」の女神として信仰されてきた金星に宿っている神様のことです。ヴィーナスやアプロディーテーといった様々な名前を持っています。金星は「金の気」=「愛の気」が宿る星だからこそ「金星」という名前を持ち、金星神はその「金の気」を司っている神様ですが、神様なので当然「水の気」も使えます。長谷川京子はそういった金星神の「水の気」を受け取ることによって、「水の気持ち」を抱き、その「水の気持ち」を表現することが多い役者であると理解して頂けると幸いです。

金星神と繋がっている役者の意味について、詳しくはここに書いていますので、このページと合わせて以下のリンクも読んで頂けると幸いです。

http://junashikari.com/singer/venus-singer-actor/

 
【名前について】

名前にはその人の持っている役割が示されています。長谷川は「長い谷川」ですが、「水」に関する名前です。長谷川京子が「水の気持ち」を強く抱えた「水の人」だからこそ、長谷川という名字を持っています。

そして、「京子」の「京」は「天子」=「国を治める存在」が住む場所のことですが、この時代において世界を治める存在は金星神です。ですから、「京子」という名前は「金星神が住む場所」という意味を持っています。長谷川京子が金星神と共に生きているということは、長谷川京子の中に金星神の「気」がたくさん宿っているということであって、それは長谷川京子の身体の中に金星神がいるとも捉えられるので、このような名前を持っています。

金星神と繋がっている人間が「きょうこ」という名前を持っているケースはよくあります。何故ならば、「今日(きょう・こんにち)」において最も重要な神様は金星神だからです。何故金星神がこの時代において重要なのかということはこちらに詳しく書いています。

http://junashikari.com/energy/2012年12月より金星の気が降り注ぎ始めたことについ/

「長谷川京子」の名前には他にも意味があり、それは「はせがわきょうこ」を「波瀬が和協子」と読む解釈です。神々はこういった形で、名前の読みに何らかのメッセージを込めることはよくあります(例:由夏板谷=愉快田屋)。「波瀬」は「はせ」と読み、字の通り「波の瀬」であって「水」に関する言葉です。そして、「和協」は「仲よくして力を合わせること、音の調子を合わせること」といった意味を持っています。

ですから、「波瀬が和協」とは「水の気持ち」が非常にいい形で他のものと調和することを意味しています。実際、長谷川京子の話している映像を見ていても、「水の気持ち」を他と調和する形でとてもいい形で使えていることを感じることができます。ですから、この「波瀬が和協」の意味は長谷川京子の本質を的確に表しています。

「水の気持ち」も人によって異なりますが、長谷川京子の魂の持っている「水の気持ち」と金星神の魂の持っている「水の気持ち」が非常に近い部分を持っているからこそ、長谷川京子は金星神と共に「水の気持ち」を表現することを人生の役割として持っています。では、どのような「水の気持ち」かというと「波瀬が和協」という名前に表現されるような「水の気持ち」です。「水の気持ち」には強い「厳しさ」を伴なうものもあるのですが、そういう方向性よりも「和協」する方向性の「水の気持ち」であることを、この名前は示しています。


【『七夜待』について】

長谷川京子について理解する上で、最も重要な作品が河瀬直美監督・長谷川京子主演の『七夜待』です。

作品制作において必要なものは「アイデア」であって、神々はいつも「気」に「アイデア」を乗せて我々に届けています。このような性質を表す言葉が「気付き」=「気」+「付き」です。「アイデア」が乗った「気」が我々に「付く」ことによって、我々の心に「アイデア」が浮かぶ現象を「気付き」という言葉は説明しています。このような意味で、神々は「アイデア」を「気」に乗せて、その「気」を人間に「付ける」ことによって、作品制作に関わっています。このことについては、ここに詳しく書いています。

http://junashikari.com/energy/「気」と「アイデア」の関係性1/
http://junashikari.com/energy/「気」と「アイデア」の関係性3/​
http://junashikari.com/art/名付けと作品作り/​

神々は作品に何らかの重要なメッセージを込めようとします。だからこそ、作品にその作品を作った人間も意図していないような神々からのメッセージが込められていることはよくあります。では、『七夜待』に神々はどのようなメッセージを込めたかというと、長谷川京子がどういう人間であるのかを伝えるメッセージです。
 


この映画の中でテーマとされているのは「水」です。映画の中のセリフでも「水」という言葉が多用され、そのセリフの使われ方から神々が我々に何を伝えたいのかを理解することができます。この映画を通して神々が人間に伝えたい一つのことは「水」が「愛」であるということです。

具体的にどういう風にそういうことが示されているかというと、「雨」や「水」を意味するフランス語「ラ・プリュイ」を長谷川京子が「ラブリー(lovely)」と聞き間違える場面などです。これは、「雨(水)」が「愛」であることを示しています。また、エンドロールでは映画の中で使われたセリフがもう一度流れるのですが、「ラ・プリュイ(雨・水)」と言われることから始まり、「愛・愛・愛」と言われることで映画が終わります。この構造も「水」が「愛」であることを示しています。

「水」は「愛」です。「水」は汚れたものを洗い流す「浄化」の力があり、「水の気持ち」とはそういった「問題解決」=「浄化」の気持ちです。では、どうして「問題」を「解決」したいかというと、「相手を問題から救いたい」という「愛」の気持ちがあるからです。このような意味で、「水」は「愛」です。

ちなみに、「水の気持ち」という発想は私が作ったわけではなく、古代東洋でも古代西洋でも元々あった考え方です。東洋では五行思想と呼ばれ、西洋では四大元素説と呼ばれます。

http://junashikari.com/energy/五行思想と四大元素説について/

また、物質の水と「水の気持ち」が同じ性質を持っているのは、神々が物質をデザインする際に精神的なものを表すようなデザインにしているからです。これは「水の気持ち」だけに関わらず、「火・風・土・金の気持ち」も同様です。

『七夜待』の中で長谷川京子が演じた女性は「水の気持ち」が強い「水の人」として描かれています。日本からタイへやってきて、最初は「疑い」といった「闇」を抱えているのですが、タイ人が行なっているマッサージなどを通して「闇の気」を浄化し、「水の人」としての側面を取り戻していきます。マッサージが「浄化」であるということも「水」=「浄化」=「問題解決」の考え方と繋がっています。

どういう場面からこの主人公が「水の人」と分かるかというと、例えば、日本社会の抱える「問題」を話している時に泣き始める様子です。「水の人」は「問題」に対する問題意識が強いからこそ、「問題」を「解決」しようとします。ですから、涙を流すこのシーンは主人公の問題意識が高いことを示すシーンであって、主人公が「水の人」であることを示すシーンです。また、こういった涙は「愛」が無いと生まれないものなので、「水の気持ち」が「愛」であるという本質をこのシーンは強く描いています。

このような形で、この映画では長谷川京子と金星神が共通に抱えている「水の気持ち」が強く描かれています(ただ、主人公が「闇の気持ち」に堕ちるシーンは別です)。長谷川京子は金星神と共に「水の気持ち」を表現し、日本人に「水の気持ち」の価値や在り方を伝えるために生まれています。この映画はそれを強く実践している重要な映画と言えます。

ちなみに、河瀬直美監督も金星神と共に「水の気持ち」を実践している映画監督です。「河瀬」は「水」に関する名前ですし、「直美」は「美」の神様である金星神と共に「美を直す」という意味を持っています。ですから、河瀬直美と長谷川京子は金星神の「水の気持ち」と共に生きているという意味で、同じ立場の人間です。長谷川京子と河瀬直美という、同じ立場の人間だからこそ、このような重要な映画を作ることを実現しています。

長谷川京子は映画よりもドラマで活躍している女優なので、長谷川京子が主演を務めている長編映画はとても少ないです。ですから、『七夜待』は長谷川京子が「水の気持ち」を表現するために生まれてきたということを示す一つの大きな根拠となっています。逆に言うと、神々としてはこの『七夜待』を長谷川京子の人生の役割のことを伝えるための最大の根拠とするために、長谷川京子が一人で主演を務める映画をできるだけ作らないようにしてきたことや、長谷川京子を映画ではなくドラマをメインに活躍させてきたということはあると思います。

もし、長谷川京子が一人で主演を務めている映画がたくさんあったら、『七夜待』はその中の一本になってしまいますが、長谷川京子が一人で主演を務めている映画は『七夜待』以外にはほとんどないからこそ、『七夜待』は長谷川京子の本質を表している大きな根拠と言えます。

『七夜待』の中で描かれるそれぞれのシーンに金星神は深い意味を込めています。私としては、この映画の主人公の振る舞いがどういう意味で「水の気持ち」を表現しているのかといったことや、それぞれのシーンに金星神がどのようなメッセージを込めたのかということを解説する必要があると思っています。将来的には、この映画だけについての解説を書きます。

また、長谷川京子に関する情報ももっと書き、河瀬直美のその他の作品についても解説を書いていくつもりです。長谷川京子も河瀬直美も、この時代において非常に重要な人間だからです。