デザインには元々どのデザインが「光」であり、どのデザインが「闇」であるのかというルールが決まっています。そして、そのルールは、それを見た時に我々の心がどのように動くのかということに影響します。デザインについての基本的な考え方はこちらに書いていますので、そちらを読んでいない方はこちらの文章から読んで頂けると幸いです。

http://junashikari.com/デザインについて/デザインについて(概要)/

例えば、虹を見て「絶望」の感情を感じる人はほとんどいないと思いますが、それは虹が持っている形や色が「光」のデザインだからです。もし、虹のデザインが元々「闇」のデザインとして定められているのであれば、我々は虹を見て「絶望」の感情を抱きます。

そして、様々な物質のデザインとは、目に見えない世界の模倣として成立しています。例えば、神々と共に生きていた古代ギリシャ人が建てた様々な建築物とは、神々の国の建築の模倣です。だからこそ、そういった建築物からは何か崇高なものを感じたりします。

そして、我々には見えないものの一つが「気」です。神々や悪魔は「気」を司っており、彼らはいつも「気」を見ることができます。ここでは、そういった「気」のデザインについて書いていきます。「気」のデザインを理解する上で重要なことは、色・形・動きの3つです。以下、この3つの要素について書いていきます。
 

【「気」の色】

・光の気

『デザインについて(色のルール)』に書いていますが、「光」の色は元々決まっており、「光の気」の色もそのルールと一致します。『デザインについて(色のルール)』はこちらから読むことができます。

http://junashikari.com/デザインについて/デザインについて(色のルール)/

「光の気」の色の基本色は白です。何故ならば、強い明かりがある場所では、世界は真っ白に見えることから明らかなように、「光」の基本色が白であるからです。そして、「水の気」「火の気」「風の気」の色は我々が見ることができる可視光線の色に描かれています。可視光線とは虹の色や炎の色と理解して頂ければ、と思います。

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可視光線を構成する色は、赤・オレンジ・黄・緑・青・紫ですが、以下のように「水の気」「火の気」「風の気」に対応します。

水の気:青、紫
火の気:赤、オレンジ、黄色
風の気:緑

だからこそ、炎や夕日は赤・オレンジ・黄色に見え、水は青に見え、植物の葉は緑色をしています。
 

植物は「風の気」を強く摂取している生き物であって、「風の気」と相性がいい身体を持つために、緑色の葉を付けています。「気」はその「気」と同じ色の物質と相性がいいという性質があります。ですから、物質の色が何色かということは、一体どのような「気」と相性がいいのかということを示しています。そもそも、「風の気」が宿った星のことを我々が木星と呼んでいるのは、この名付けを行なった当時の人間は木々が「風の気」によって生きていることを知っていたからです。

また、どうして植物が紅葉するかというと、寒い時期が来る前に「火の気」を摂取するためです。気温が低いことは「火の気」が少ないということを意味します。木々は「火の気」が少ない冬に備えて、前もって「火の気」を摂取するために、「火の気」と相性の良い、赤やオレンジや黄色といった色に葉の色を変えます。

そして、最後は土色の枯葉になりますが、どうして葉が茶色になるかというと、今から説明する「土の気」と相性のいい色が土色だからです。落ちた葉が土としての機能を果たすために、落ち葉は土色になります。このように、葉の色の変化には「気」との強い関係性があります。

「土の気」「金の気」については、可視光線には描かれていない色ですが、「土の気」「金の気」という名前自体がその色をよく示してくれています。

土の気:土色(肌色、ベージュ、茶色)
金の気:金色

土という物質は土星神様が支えている物質であって、土星神様が「土の気」によって関与しやすいように「土の気」の色を持たせています。ですから、物体の土の色は「土の気」の色そのものです。

金という物質は金星神が支えている物質であって、金星神が「金の気」によって関与しやすいように「金の気」の色を持たせています。ですから、物体の金の色は「金の気」の色そのものです。

物体とは「気」が生まれた後に生まれたものです。どうしてこのように言えるかというと、様々な「気」を宿すためのものとして物体が存在するからです。物体に「気」が宿ることは、放置している水の味が変わったり、不健康な生活をしていると「闇の気」が身体に溜まり精神を病んでいくことなどから明らかです。この世界の成り立ちは絶対にそうなるべき理由があります。何故ならば、神々は何らかの必要性があって、この世界の様々なものをデザインしているからです。物体に「気」が宿るという現象は必要だからこそ生まれたのであって、「気」を宿すために物体があるということは間違いなく言えます。そして、そのことから「気」が物体よりも先にあったはずということが分かります。

物体が生まれて「気」が生まれたのではなくて、「気」が生まれてから物体が生まれたということはデザインのことを理解する上で重要ですから、覚えておいて頂ければ、と思います。

例えば、我々は身体を持っていますが、どうして我々は身体を持っているかというと、様々な「気」を身体に宿し、その「気」を経験する=その「気持ち」を経験するためです。もし、我々が身体を持っていなかったら様々な「気」は我々をスルスル通り抜けていきますから、様々な「気」を経験する=様々な「気持ち」を経験することはできません。

神々は、それぞれの「光の気」の色に合わせて、水や火や葉や土や金をデザインしています。人間は物質的存在ですから、「光の気」の色を理解するために、水や火や葉や土や金の色を参考にするしかないのですが、本質的には、水や火や葉や土や金が「光の気」の模倣です。

余談ですが、この観点で世界を見つめるのであれば、どうして木星が風星と言わないのかもよく分かります。上で「水や火や葉や土や金」と書きましたが、「気」の色に着目した場合、「風」よりも「葉」の方がその色をよく表しており、分かりやすいからです。「風」は無色であるからこそ、当時の人間は「木」という言葉を使っています。

ここまで、それぞれの「光の気」の色の説明を行ないましたが、白は「光の気」の基本色なので、それぞれの「光の気」の色に白を混ぜた色も光の色を意味します。例えば、赤と白を混ぜるとピンクになりますが、ピンクも光の色です。ただ、ピンクの中でも様々な色があり、光のピンク色は桃色と理解して頂ければ、と思います。濃いピンクなどは闇の色です。

また、発展的な内容ですが、神々が「光の気」を使う時、複数の「光の気」が混ざると、その色は白となります。日中太陽は白く見えますが、それは様々な可視光線の色が混ざった結果として白になっています。このように、光の様々な色は混ざると白に向かうという法則があり、それは「光の気」の場合も同様です。


・闇の気

「闇の気」の色の基本色は黒です。何故ならば、何も明かりがないと世界は真っ黒に見えることから明らかなように、「闇」の基本色が黒であるからです。

そして、「闇の気」は30種類ありますが、それらの色は基本的に深い色だと理解して下さい。例えば、深緑や深紫といった色です。深い色とはある色に対して黒が混じった色であって、上に取り上げたピンクとは逆のケースです。ですから、「闇の気」は黒や黒以外の深い色を持っています。

「光の気」が白になる場合と同様に、「闇の気」が黒になる場合も、様々な「闇の気」が混ざった結果として黒になります。絵の具のパレットで様々な色を混ぜていくと黒に近づいていきますが、このことと同じ現象が「闇の気」についても言えます。

 

【「気」の形と動き】

図形には元々「光」と「闇」のルールが決まっており、「気」にもそのルールは当てはまります。例えば、「光」の基本図形は正円であって、「闇」の基本図形は正四角形であって、このルールは「気」においても当てはまります。デザインに関する基本図形の考え方は別で詳しく書きます。

一つの「気」とは小さな砂粒のようなイメージを持って頂ければ、と思います。その砂粒のような「気」が集まることで何らかの形を形成していきます。神々と悪魔は「気」を作り、操るということをいつも行なっていますが、そういった「気」は何らかの色や形や動きを持っています。

その時にどのような形や動きを作るのかということについては、当然我々は自分の目で見ることはできないのですが、自然界の物質にヒントはあります。例えば、「水の気」は、水・氷(雪)・水蒸気のようであり、「火の気」は火のようです。このように、自然界の物質には、「光の気」の形や動きを理解する上でのヒントがあります。

「水の気」は水のようであり、「火の気」は火のようであるという説明は根拠がないように思われてしまうかもしれませんが、神々がわざわざ「水の気」と水のデザインを全く異なるものにすると考える方が不自然です。先程も書きましたように、自然界の物質は目に見えない世界の模倣として成立しています。そして、水という物体を作っているのは「水の気」であって、火を作っているのは「火の気」です。ですから、神々は水を「水の気」のようにデザインし、火を「火の気」のようにデザインしていると言えます。

また、以下の映像で使われている物質は磁性流体という物質であって、人工的に創られた自然界には存在しなかった物質になります。「闇の気」の作る一つの形のパターンがこの形なので参考にして頂ければ、と思います。砂鉄が液体のようになっているものであって、磁石を近づけるとこの映像のようにスパイク形を作ります。
 


このスパイク形は「闇」のデザインの一つであって、「闇」の強い人程このようなデザインを持ったアクセサリーなどを悪魔によって好きにさせられ、身につける傾向があります。

どうして、悪魔はこういったアクセサリーを身に付けさせるかというと、このデザインが「闇」のデザインだからこそ、「闇の気」との相性が良く、「闇の気」を宿しやすいからになります。先程説明した植物の葉が「風の気」と相性を良くするために緑色をしていることと同じです。悪魔はその人間を「闇の気」によって支配するために、「闇の気」との相性がいいものをその人間に身に付けさせます。そして、身に付けさせるためにその人間にこういったデザインを好きにさせます。

色や形だけではなく、動き方においても「光」と「闇」のルールはあります。この磁性流体の動きは「闇」の動きであって、「闇の気」をこのような動きで使う悪魔もいます。悪魔が人間に見せる幻覚においても、このような動きを悪魔が人間に見せることはあります。以下の映像の方が「闇」の動きについて分かりやすいと思います。
 


これとは逆に、水や火や風の動きとは「光」の動きであって、水や火や風の動きは「光の気」の動きを理解する上でヒントとなります。


また、物質を参考にすること以外にも、「気」の色や形や動きを理解する上で、神々と共に映像を創ってきた人間の映像を観ることで、ある程度の予想を立てることができます。

例えば、『ロードオブザリング』シリーズで有名なピータージャクソン監督は神々と共に映像を創っている芸術家であって、光のシャーマンと悪魔が闘うシーンの描写などは、非常に的確に「気」のことを描いています。この動画の最後の一分半くらいを観て頂けると幸いです。ガンダルフ(光のシャーマン)が球の形をした「光の気」で、サウロン(悪魔)の使う煙のような「闇の気」の防衛を行なっています。
 


他にも、PVなどにおいても「気」のことは描写されています。このPVにおいても「光の気」と「闇の気」のことが描写されており、上の動画と同様に、「闇の気」は煙のような形で描かれ、金色で「金の気」が描かれています。
 

※この動画についての詳しい解説はこちらに書いています。

http://junashikari.com/中島美嘉について/『over-load』-について/

 

また、アニメーションにおいても「気」のことは描写されており、例えば、宮崎駿『もののけ姫』のたたり神や、庵野秀明『エヴァンゲリオン』の使徒の動きにもよく表現されています。たたり神の表面に蠢いているニョロニョロしたものは、イノシシを支配している「闇の気」そのものを意味しています。磁性流体の動きとは異なりますが、これらの動きも「闇」の動きです。
 


我々は「気」を見ることはできません。しかし、「気」のことをよく表す物質はありますので、そういったものから「気」のことを学んでいくこともできますし、神々と共に働く映像作家の映像から学ぶこともできます。


多くの人にとって「気」の色や形や動きを理解することは、さほど重要なことではないと思われてしまうかもしれませんが、「気」のイメージを的確に抱くことは、「気」のことを理解する上で非常に重要になります。我々が何かを理解する時に、イメージとは理解を行なうための重要な資料だからです。

映像関係の人間においては、「気」のデザインを理解することは必要不可欠になります。何故ならば、そういった知識がないと誤解を伴った形で「気」のことを悪魔に描かされるリスクが出てくるからです。そして、そういった映像を見た人が「気」のイメージを誤解していきます。今は映像が非常に発展している時代ですし、これから人類はずっと映像表現と付き合っていくと思いますので、映像表現者が「気」のデザインを的確に理解することは非常に重要になります。

また、「気」の的確なイメージを理解することは神々や悪魔のイメージを的確にシェアする上でも非常に重要なことです。ある映像作家が神々や悪魔のことを描き、それを誰かが見るのであれば、それを見た人間は知らず知らずの内に神々や悪魔のイメージをその映像から学び、潜在意識に刻んでいくことになります。そこで描かれている映像が的確な表現であればいいのですが、もしそのイメージが誤ったものであれば、それを見た人間はずっと誤ったイメージを抱いて生きていくことになります。

悪魔の姿を描いている、『もののけ姫』のたたり神にしても、『ロードオブザリング』のサウロンにしても、彼らは恐ろしい形で描かれています。あのように描くからこそ、あの映像を見た人間にとって、悪魔は恐ろしいものとして記憶に残ります。実際悪魔は非常に恐ろしい存在ですから、あのような描き方こそ、人間が観るべき描き方になります。

『もののけ姫』のたたり神については、悪魔の恐ろしさよりも「闇の気」の恐ろしさ、「闇の気」がどれだけ魂を狂わせるものであるのかということが映像で本当に的確に表現されています。それについては、『ハウルの動く城』のハウルについても同様です。たたり神になってしまったイノシシにしても、「光」のために「闇の気」を使うハウルにしても、悪魔からの「闇の気」によって自分が支配され、自分を見失うということが描かれており、これは「闇の気」の真実そのものです。ハウルの場合は「闇の気」のことが黒い羽で表現されています。

たたり神の持っていた「闇の気」によって呪われてしまったアシタカは、その「闇の気」によってパワーも得ますが、少しずつ身体をむしばまれていきます。この表現も「闇の気」の本質を捉えたものであって、「闇の気」は我々にパワーも与えますが、「闇の気」は病気を作り、我々を殺します。

そして、『ロードオブザリング』のサウロンについては、「闇の気」の主としての悪魔がどのような形で「闇の気」を司っているのかがよく表現されています。サウロンのような大きな悪魔が「闇の気」の主であって、たたり神はサウロンのような悪魔によって支配される側の魂になります。そして、我々の誰もがたたり神のように「闇」に堕ちてしまい得る存在です。

このような映像を見るからこそ、「闇の気」の恐ろしさを我々は映像から学ぶことができるのであって、だからこそ、「気」を映像として描く場合の映像作家の責任は計り知れません。宮崎駿もピータージャクソンも神々と共に働く芸術家であるからこそ、こういった非常に重要な映像を創ることができています。